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- 寸言
人事管理の基本は、社員の人間性を引き出すこと。現在、多様な価値観と異質な労働力が増加し、混在する組織の中で、どう管理するのか、使いこなしていくのか、リーダーは一人一人の、人間性(価値観、社会観、人生観など)を見極めて、長所を引き出ねならない。
今時の若年層、仕事に対する価値観が"ビジネス志向"というより"生活者志向"
"自分中心主義""家族志向""安楽志向""自己顕示志向""大人子供"。
仕事のモチベーションは各人異なる。従来、人事の要諦は"才あるものは地位を、功あるものは禄を"であり、人をやる気にさせる三種の神器は"金""ポスト""仕事"であった。
今はもっと多様化している。自分の能力向上、プロフェショナルとして通用する"キャリアアップ"志向、精神的な"評判、賞賛、ステータス"願望、など、人事はこれらに合わせて多様なモチベーションシステムを開発しなければならない。
異質な未来、異質な国際社会など、企業を取り巻く環境が異質な時代、等質的な中での能力だけでは通用しない。多元的な異質社会での適応能力が問われる。
人事管理のポイントは適材の確保プラス仕事の動機づけ。
人事的にいかに"遊び齣"をださないようにするかが低成長期の要諦。
組織のポテンシャルは、社員能力の総量に意欲の総量をかけたもの。
同じ性格の人たちが一致団結しても、その力は和の形でしか増さない。異なる性格の人たちが団結すれば積の形で大きくなる。(南極越冬隊隊長、西堀栄三郎)
意欲の向上には、多様な競争に向け、個性を発揮できる仕事を与え、それなりの評価と処遇をしていくことが欠かせない。
- 寸言
人間が100人いれば、おかしなものも10人はいる。この10人が何か拙いことを起こす心配するより、90人のやる気のある人間が精一杯働けるようにすることが肝心である。
- 寸言
意識改革を伴わない人事管理はナンセンス。意識改革とは、危機意識と責任感を持って、現状を改革し、進展させる、やる気の喚起である。
- 寸言
〜意識改革の具体的方法〜
前例主義を見直し理想とする具体的な仕事の内容を明確にし、意識改革のための物差しとする。これを実際の仕事とすりあわせ、その差、すなわち、問題点を発見する。
その問題点を克服するにはどう取り組むべきかという、意識を植え付ける。
意識改革を喚起するには、前例から出発するのではなくて、理想的仕事内容から考え直すことである。
考えに考え抜いて、ギリギリのところで理想と現実のバランスをとりながら前進すること。
{"理想と現実は違う""抽象論を持ち出すな""現実を直視しなければ改革は出来ない"
改革を提案するとすぐ持ち出される、いわゆる大人達の常套語。
それでは、そのような大人達が、現実を直視して改革、抽象を超えた理想を提案したことはあるのか、一度も見たことがない。
現実を直視しなければ理想を抱くことが出来ず、"分別くさい"殻に閉じこもることになる。
理想を持たないために滅びた民族(企業)はあるが、理想を持ったために滅びた民族(企業)はない}
(詞人、むのたけじ 詞集"たいまつ")
最初から出来ないことを前提にせず"どうすれば出来るか"を考える癖を付ける。
不可能と困難は違う。
いわれたことをやらないのは"熱意"がなのだ。いわれたことを聞かないのは"誠意"がないのだ。いわれたことしかしないのは"創意"がないのだ。(高山壇)
やって出来ないことと、やろうとしないから出来ないことを区別せよ。
〜非真面目な中に改革のエネルギー〜
今の時代、かえって、真面目な経験者が改革を妨げる障壁になるおそれがある。この人達はいわゆる"守旧派"に属する人が多い。
改革には。むしろ改革しょうとする分野に未経験で、物事を本質的に観ることの出来る人をあてること。改革には決まった手法も枠もない、融通な気持ちが必要。
組織風土が一度定着してしまうと安定をもたらし、"適応は適応を閉め出す"(いったん定着した適応能力は、安住してしまい、次の変化の適応能力を創り出そうとしない)という状態になる。
つまり、安定時の環境に適応した能力は、変動時には適応(通用)しない、にもかかわらず、意識はそのままで、脱却できない。
そこで、"ゆらぎ"をつく。例えば、もう一度、創業時のような不安定な状態に持っていき社員意識改革を促す。
思い切った組織、機構改革、新規事業、新製品開発もその一環である。
- 寸言
精神的リタイアは斜に構えて会社にぶら下がっているいわゆる老害予備軍、組織を食い荒らすシロアリである。増殖力が旺盛だから始末に悪く、放置しておくわけにはいかない。断固排除すべきである。
怠け者も一つだけ勤勉だ、"俺には責任がにない"という理由を探すことで絶対の服従とは自分で何一つ責任を負わないことだ。人は何をしたかだけでなく、何をしなかったかによっても裁かれる
(詞人、むのたけじ "たいまつ")
人間がその仕事に成功するかどうかは能力より性格に負うところが大きい。
- 寸言
人間関係のみを重視する会社、こんな会社は温情主義で和気藹々としているが、人事交流が停滞し、職場に活気が乏しいケースが多い。
チームワークというものはメンバーがお互いに助け合っていくというより、一人一人が自分の役割にベストを尽くしていることから生まれる。
厳しさを語ろうとするなら"厳しい"という形容詞を口にするな。聞き終わった相手が自分から厳しさを感じるように語れ。
(詞人、むのたけじ "たいまつ")
- 寸言
平等主義者の云う平等という概念は結果の平等のこと、本来の平等は機会の平等である。結果の平等という、いわゆる悪平等を求めると、不満が限りなく出てくる。その不満を抑えつけようとして限りなく統制的になる。
- 寸言
"適所適材"は、始めに業務ありき、"適材適所"は、始めに人ありきで、これは、ともすれば人に応じて、必ずしも必要のない業務を無理に発生させがちである。
組織の簡素化を図るには、"適所適材"が有効である。
"適所適材"の考え方を、例えば、新規事業に当てはめてみると、人材の配置は、事業の成長段階に応じて、相応しい能力の人を当てる。
立ち上がりの段階では計画力と行動力ある人を配置、成長期、発展期には人心を把握し、管理能力あるミドルを配置する。
この時期は若い社員が増加し続けるので、その面倒を見る事が巧みな熟練ミドルを配置し組み合わせることで、安定した活力を生み出す。
- 寸言
若い人に会社への忠誠心を求めるのは難しい。ここで自分の芝居が出来る。自分のパフォーマンスがやれる、という舞台を会社の中に育てることが必要だ。"滅私奉公"でなく、自分を企業という舞台で生かす"活私奉公"の時代である。
- 寸言
現在の偏差値重視の教育は、教室の中で、早々と、社会での自分の位置づけが決められてしまう。なりたいという願望が否定され、なれる人間に閉じ込められる。
そのため、自分が出来ることだけしかしない、無理はしない、越えられるハードルだけを見ていく人間が増える。
自分の人生の見通しはほとんどついている。あとは面白おかしく生きようとするパフォーマンス世代が多となる。
- 寸言
目標を遂行する能力は、目標と方法を与えれば極めて高い。しかし、逆に目標、あるいは方法そのものを自分で設定する能力に欠けている。
〜"社員は何のために働いているのか"〜(バイテクノ林原、林原氏)
仕事に関して、社員に会社のためとか、という意識を持ってもらう必要がない。
そんなことを考える前に、自分のためになることだけ働け、その方がお互いに精神的に楽だし、結果として双方利益になる。
- 寸言
T 合理化、正当化(自分の行為、行動の合理的ないい訳、正当性を考える)
会社のいうことが無理、だから出来ない。景気が悪い。天候不順。他社業績も悪い。
〜どうなるかではなく、どうするかだ。方針を持たない目には情勢は見えてこない〜(詞人 むのたけじ"たいまつ")
U 同一視(自分の努力不足を省みず、他人を自分と同じレベルで考える)
業績を上げている同僚を見て"彼の仕事は自分より条件が恵まれていたからだ"
他人の努力を"良い格好をしているだけ"と切り捨てる。
V 反動形式(開き直り、外連)
仕事する意欲もないのに、"見ていてくれ、来月は120%の成績を上げてみせる"
大言壮語、虚勢を張る。見た目は忙しそうにパフォーマンスする。
W 逃避(自分を受け入れてくれる居心地のいい場所に逃げる)
喫茶店、パチンコ、"馴染、癒着、馴れ合い"の出先のみ、新規開拓はしない。
- 寸言
〜基本は責任と権限を与えること〜
T 適正配置
適所適材。
U 業績評価の基準を高くする 評価に対して見返りを高くする、誇りが持てるように、目立つように評価(全社員の前で表彰)、高い成功報酬支給など。
V 社員が自己統制するための必要な情報与える
今、自分がおかれている状況、何をすべきかの判断情報、どう進めばいいかの進路情報 など。
W 経営的視野を培うための参加機会を与える
会議、研修に参加させる、提案制度の確立、仕事の事前協議に参加させる、など。
- 寸言
T 目的を掴んだとき、U 困難を克服して、課題を達成したとき、V 創造的活動。
〜本来、生き甲斐は自分が本当に求めるものなら、どんなものでも生き甲斐を感じる性質を持つ〜
人間が満足感を持つ要因は5つ、"あることの達成""人から認められる""仕事に充足感""権限""報酬"が満足すべきものの場合である。
- 寸言
人に云われてやる仕事の効果を1とすると、それを納得してやる場合1.6倍の効果を生む、さらに、仕事を自発的に見つけ、自分でやる場合、その効果は1.6の二乗倍に上がる。
目的のはっきりしない非生産的な受け身な仕事は疲れる。目標があるからやる気を起こす。人に与えられた目標は圧力としてやる気をなくすことがある。それに比べ、自分のたてた自分の目標にはやる気が出せる。
先ず会社目標を示し、その中で、自分の貢献目標を自分で立てさせ、申告させる。
- 寸言
第一期症状、 職制新設
例えば、総務部だけで事足りていたものを、専門化による職務高度化、充実などと理屈をつけ、人事部や労務部を新設、権限責任の分散、なすりあい"会議は踊る"現象を生み出す。
第二期症状、中間管理職位、乱立現象
部長や課長だけですっきりとしたライン形成をしているところに、ポスト不足解消のため次長、補佐、代理職などの管理職位をつくって、指揮命令系統を複雑化、混乱させる。
第三期症状、経営層の多層化
若い社長が起用されると起きやすい。自分より年輩者、先輩を会長、相談役や子会社経営者にだす。それでも間に合わず、参与、理事など高給取りを生み出す。社長の求心力低下、派閥形成が進行。
{事業の進歩に最も害をなすのは若者の過失でなく、権力ボケの老人の跋扈である。権力は常に毒がつきまとい必ず腐敗する}
{多くの人の才腕は最後には欠点となってしまう。その欠点は老いるにつれますます明らかになる}
(サントブーブ)
第四症状、年俸制の導入
この揚げ句、部長クラスに、"暇そうな参与や理事"と同じ給与じゃたまらないという不満が募り、解消策として年俸制を導入する。
(賃金管理研究所、弥富賢之)
- 寸言
本来年俸制は解雇や転職の自由が存在するところのシステムであって、一般に生涯雇用的体制を維持している日本的企業には馴染まない。むしろ、社員のやる気を減退させかねない。
現在、グローバルスタンダードの大義名分の下、脱日本的経営を目指している企業が多いが、企業のみならず、日本人として、長年の歴史の中で培ってきた心情や組織風土は血肉になっており、大きく変化させられない。
年俸制より、現在の賃金体系の中で、能力評価の側面を強く打ち出すべきである。
{企業の人事評価がひたすら短期のものに傾き始めているのが気にかかる。
競争原理を導入して、これまでの年功序列に代えて、能力給や年俸制を採る企業が増えてきた。
一年ごとの短期の成績表を突きつけられると、視野と行動が狭まり、長期の成長力を蓄えるような構えがひるんでしまう。
そもそも年功序列とは、年齢を重ねるだけで給料が上がるという単純なものではなかった。勤続年数が増えるにつれ、むしろ賃金にばらつきが生まれ、能力と給料とがそれなりにリンクする競争要素が組み込まれていた。}
「自由と秩序」競争社会の二つの顔 猪木武徳(中公叢書)
- 寸言
仕事が好きになれば、学びたいという気持ちになるだけでなく、それを生かしたいと思う行動が出てくる。一人でも多くの社員が仕事を好きになるような会社にするのが、トップの責任であり、管理の努めである。
集団主義で、愛社精神は強要されるものではない、社員一人一人が仕事への愛着を持てば、社への帰属意識は自然に高まる。
仕事を次々こなしている中で、自分は会社と共に成長しているのだという実感を抱けば、会社への忠誠心につながる。
最近は、認められる満足感、昇進、権限、という特典もさることながら、根本的に自らの人間としての可能性の発展を一区切り毎に確かめる手応えに喜びを感じる人が増えている。
- 寸言
仕事は英語で、"ワ−ク(Work)、タスク(task)" "レイバー(Lab
our)""コーリング(Calling)"に分別されている。
"レイバー"は苦役を伴う仕事、ワーク、タスクは誇りを内含する仕事。さらに、コーリングは天職を意味し、喜びと楽しみがある。自分の仕事をレイバーにしてはいけない。
"仕事が楽しければ、人生は極楽"(ゴリキーのどん底)
われわれは一生のうち相当の時間を会社で過ごす。仕事に喜びを持ち、楽しくする工夫をした方がいい。
"人生の全てが幸せになるものでない以上、仕事が楽しいだけ幸せになれる"
(松下電器、山下氏)
- 寸言
権限委譲は市場環境が眼めまぐるしく変化し即決、即断を迫られる機会が多い現在、人事の最も重要なポイントであるが、権限委譲には、事後の報告や確認がつきものである。
大幅な権限委譲を実行するならば、きちんとした事後のレポーティングシステムを確立することが不可欠である。
事後の報告確認よるバックアップシステムのない権限委譲は単なる放任に過ぎず、社員の暴走を招きやすい。
権限の委譲は同時に責任感を生む。責任感は常にその人の創意工夫を要求する。
権限は与えるも、責任は自分が取る
日常業務は誰でも慣れれば80点ぐらいは取れる。新しい事にはリスクがつきもの、もしトップがリスクを現場に負わせたら、皆な保身ばかり考え、組織は硬直していく。
- 寸言
"パーキンソン"のマネジメント・バイブル
{経営は教育と知れ}{経営はものの管理ではなく、人間の開発である}
{経営は人間関係そのものである}
{経営は人間を通じてのみ目的達成が可能だ}。
経営は本来、教育事業である。社員教育が経営の成否を左右する。但し、教育の成否は教育制度の良否というより、社員の自己啓発意欲の有無にかかっている。
人事管理、教育は自己啓発を助長するものである。
自己啓発の意欲を起こさせるには、仕事が好きになれるか否かにかかっている。
- 寸言
今の教育は大部分、"教える"ことはしても"育てることはなおざりにするきらいがある。"大きな声で挨拶しなさい""伝票はちゃんとした字で書きなさい"と教えることは煩いが、それを定着させるために育てることを忘れている。育てるとは実際に稽古させる、チェックすると同意味である。
5ポイントの徹底
{やって}{見せて}{やらせて}{誉めて}{教える}〜有名な海軍大将 山本五十六の言葉であるが、現代でも通用する。これを反復することで人は育っていく。
教えると云うことは"コンテクスト(脈絡、結びつき、ある事柄の状況)を高めること、すなわち、意思疎通の土台を形成すること、相互に分かり合える状態を保つため、組織の情報力を高めること。人と人との関わりは、分かり合うのが普通の姿ではなく、分かり合わないのが普通の姿だと目を覚ますことから出直さないといけないのではないか。(詞人、むのたけじ 詞集"たいまつ")
トップが"付加価値を高めよう"と云っても、経理担当者の"付加価値"、営業担当者の"付加価値"、生産担当者の"付加価値"の考え方、受け止め方は、それぞれ異なる。
これらを統一した概念にする。相互の関係、結びつきを明らかにする。いわば、経営、業務に関わる言葉を、社内誰でもが理解できる共通用語化(翻訳)し、教えることである。
企業内教育も集団、画一教育から、個別多彩な教育といった変化が起きている。
- 寸言
企業における教育の基本は、望ましい人材像と現状の人的資源との比較差を埋めていくこと。こうした差の認識がない教育は、自己満足に過ぎない。
トップは教育担当者にハッパをかけるだけでなく、具体的に何年後までに、どういう人材を作り上げていくのかを明示すべきである。
"こういう事業をやりたいが、我が社には人材がいない"と嘆くトップがいるが、これは天に唾する発言である。
新規事業目標があれば、それに相応しい人材を、普段から教育しておく責任があるのに、自ら放擲していたからである。
企業を発展させために優秀な人材を集めたければ、経営者は明確なビジョンを示し、社員に夢を与えなければならない。
企業が育てたいと思う人材は、才知に優れている人ではなく、使命感、責任感を持った人である。会社が逆境にたたされたとき、踏みとどまって苦労を共に出来る人材である。
こういった人材がどれだけいるかが会社活力の全てである。
- 寸言
新入社員の足を引っ張るのは先輩社員が多い。
職場に配置された新人が、古参の先輩に"仕事なんか適当にやるものだ、あまり若いうちに走りすぎると40過ぎてダウンするぞ、そのとき誰も面倒を見てくれないぞ"とか、
しつけ訓練で、女子社員が電話応対訓練を受け、職場に配置され、張り切って、訓練された通り、きちんとやっていると"あんた一人気取るんじゃないよ"の一言で折角の訓練効果はゼロになる。
そこで、予め、新人入社前に先輩達を集合させ、"新人にこれだけのことを教える、これ以外に教えることを挙げて欲しい。職場で実行されるようにして欲しい"と要請しておく。
教える内容のテキストづくりまで先輩を動員すればより効果的である。
どう実行するか、各職場の小集団活動のテーマする。
だれでも人に嫌なことは云いたくないし、面倒である。新人に嫌な顔をされると怯む。
しかし、放任していては職場雰囲気が悪くなる。
先輩全員が持ち回りで(当番を決めて)、いうべきことは義務として、そのときの担当がいわねばならない決まりを作る。
この方法だと、一人だけが憎まれ役をやることなく、全員で躾ることはきちんと躾る体制が出来る。同時に先輩も後輩にいう以上、自分自身が襟を正さねばならない。
こういったことを、組織風土にまでする事が重要。
いうはた易く行うのは難しいだけでなく、いうのは難しく行うのはた易いこともある。
- 寸言
組織活性化のため、社内教育の一環として"小集団活動"が挙げられる。
これは、"全体と個"という相矛盾する二者を統合するための戦略で、自発性を持った個々が全体とうまく調和を保ちながら、しかし活力を失わず生き生きと活動することを目指すものである。
ただし、小集団活動は、現場の民主化運動でも、待遇改善運動でもない。
"人事が不公平""職場をガラス張りにせよ"という不満の要求、提案するためでない。
会社の目標、方針に沿って、具体的問題を検討し、計画し、提案し、実行することである。
小集団活動が、秩序の乱れや組織エゴ、派閥主義の温床になっては、本末転倒で組織の"たが"(しまり)が外れてしまう。
自由と我が儘の界は、他人の妨げを為すと為さざるとの間にあり。(福沢諭吉、学問のすすめ)
ルールなき自由は他人の迷惑を顧みない身勝手でしかない。
お互いが最低の自由を行使しうるためには、規律規則を守る以外にない。
民主主義とは自由を生かすため規律というものを考える社会。
挨拶は、相手が上位者だからするのではない。相手の尊厳を認める行為である。自分の尊厳を認めてもらいたかったら、相手の尊厳も認めるべきである。挨拶は自分のためにする行為である。
- 寸言
{教育とは樹木を育てるようなもの。長期的な視野で、間接的効果を期待するもの}
これにより、個々の人の職務に対する創造力の開発や、責任ある職務遂行能力の向上を目指すものである。
社員のモラル、仕事に取り組む態度や意欲の開発、社員の長所を伸ばし、広げ、完成させるための援助である。これからは"教育"が大切である。
{訓練とは即、業務に役立つよう、直接的、日常業務の技術的側面に重点を置いたアプローチ(対象に迫るもの)}
例えば、製造作業の標準的方法、品質や原価率などを向上させる手段、設備補修、環境保全、作業安全、規律の体得、接客方法など、短期的に、企業業績に直結する行動を対象にしている。訓練項目は局所的、効果測定が厳しく問われる。
- 寸言
価値観の多様化で、根性訓練は効果が薄くなった、代わって、教育方法の一つに。"プロジェクト法"が効果的。
数人のグループに対して、課題を出す。例えば、"某地区のマーケティング調査をせよ"
"来年の採用パンフレットを作れ"。
この特徴は、ただ議論するだけでなく、実際に作業させ、行動させること。
異なった意見の持ち主が集まって共同作業を行う。その課程での、意見の調整や結論の出し方、まとめ方、バランスの取り方など、組織人としてすぐ使える能力の実務訓練になる。
今、製造業では技術の"精度が上がり"、"精度競争"の時代である。こうした競争下では昔のような根性とか云うものが入り込む余地は非常に少なくなってきている。
特に今の若者は衣食住が満ち足りているから、ハングリーな根性訓練から始めるようなことは馴染まない。
野球でも、いくら千本ノックしても学習効果が上がらない。精度は上がるどころか、かえって、下手になる程である。千本ノックより守備のフォーメーション訓練をした方が、精度は上がる。
精度の競争には頭脳開発、創造性を発揮できるシステムを整備し(コンピュータ整備や、製造業なら研究、開発の充実、自社のみならず他社との共同化、協業化など)教育していくことが勝負の決め手になる。
- 寸言
個性化と組織との複合化能力の開発(個性を助長しながら、組織として総合的な力に一体化させる)
〜一即一切、一切即一(華厳経)〜
個のエネルギーは全体のエネルギーにつながり、全体のエネルギーは個のエネルギーにつながる。
社会全般で、個人と組織とを対等に位置づける傾向が顕著になっている。
企業においても、企業の経済性の拘束をふまえつつも、仕事はより快適に、より楽しくしたいという欲求が大きくなっている。
さらに重要なのは社員が仕事を通じて、自己実現を図りたいという欲求を強く表明してきていることである。これを企業が積極的に支援することが社員の仕事への動機づけとなる。また、優秀な人材確保のための不可欠な条件となっている。
先ず、経営方針ありき
経営方針を具体的にかみ砕いて、教育訓練計画に置き換える。要するにトップの意思を実現するため、部下の教育訓練の具体的実践計画を策定し、実行すること。
- 寸言
能力開発、四視点
{何のために}{何を}どのような方法で}{どんな手順で}開発するのか
〜三大基本能力の開発〜 (能力心理学者、カッツ)
T、テクニカルスキル
仕事処理に必要な技術的、技能的能力
U、ヒューマンスキル
対人折衝、人間管理能力、上司、同僚との相互関係を円滑にし、組織の一員としての行動を確保する技能
V、コンセプチュアルスキル
判断、洞察力、企画能力といったもの、情報分析、予測、事態変化への対応能力、問題意識、意欲、バイタリティなど
能力開発の重点は時代、環境の変化と共に変わる。
- 寸言
業種間の垣根が低くなった。儲かるところへは異業種が参入してくる。
ある流通企業では、全社員専門家を目指すという方針の下、新入社員を国内留学させている。留学先は"デザイン教室""劇場""建築設計事務所""エレクトロニクスメーカ""銀行"など、業種にとらわれず、多彩でユニークなところ。
個性ある人間づくり、新入社員という早い時期から特徴を持たせる。開発型人間の養成である。幅広い専門家集団づくりの努力は、多様化時代に生き残る企業教育の一つの方向である。
- 寸言
会社の繁栄が個人の繁栄につながる組織なり、評価のシステムがないと働く意欲は高まらない。会社が大きくなっても個人が少しも良くならないようでは駄目である
人事評価は、正規分布のように、Aが5人だから、Cも5人にしなければならないのではなく、40人中35人Aでもよい。
いかに立派な人事評価システムでも環境の変化に対応しないと陳腐化する、システムの運用は"倦まず""弛まず""飽きず"環境に対応して"手直し""改善"をし続けること
本来、人事評価の対象となる業績は、短期の成果とか評判とかいうものではない。
評価されるのは、企業目的に対する貢献度である。
会社は現在、何を目的としているのか、それをどう、達成しようとしているのかを考えた上で、それに対して、どのように貢献したかを評価するものである。
社員が生き生きと、その全能力を発揮しているか、個性豊かに、仕事に生かしているか。
これまでは、このような"仕事の仕振り"といった側面に光を当てて評価するということは少なかった。しかし、この側面こそ、人事評価に当たって重視すべきである。
仕事の仕振りが不十分であっても、責められるのは本人のみではない。会社自身が反省する材料としなければならぬ。(社員の表情は会社の状況を映す鏡である)
人事評価に当たって、会社の側からだけでなく、本人の側に立って見ることが重要である。
部下の視点が外にむかわず、内に向くのを上司は怖れなければならない。
- 寸言
|
| T、短期の業績
| (このウエイトが全てではない)
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| U、将来の配慮 |
(単に目の前の成果を上げることだけでなく、将来のためにどれだけ配慮し、貢献したかを評価する) |
| V、仕事に対する取り組みの姿勢 |
(生き生き仕事をしているか) |
"私は社員の人事評価で、その人に能力があるかどうかというより、仕事に真剣に取り組んでいるかどうかを重視したい。
平均的に能力の高い日本人の能力格差は小さい。能力のわずかな差を評価するより、やる気や真剣さを評価する方が大切である"
(昭和シェル石油 新美春之)
- 寸言
配分する諸原資には有限なもの、無限なもの、分割できるもの、出来ないものがある。
例えば課長など管理職ポストは有限であるが、上役からの賞賛は無限である。
ゴルフの優勝杯は優勝者一人に与えられ分割できないが、それ以外の雑多な賞は理由を付けて分割できる。
リーダーは普段から、無限な原資、分割できる原資に目を向けさせて、誇りを持たせ、社員の仕事のモチベーション高め、成果と見返りがきちんと実感できるよな仕組みを考える必要がある。
- 寸言
社員の欠点を是正するより、長所を伸ばす方がやりやすい。むしろ欠点のある人間に人材が多い。長所を伸ばすと欠点は眼につかなくなり、いつの間にかなくなってくる。
"病気の治療に当たる治療者は、病人の病を見るな、ただ、健康に生きる力のみを見て治療せよ、生命力を見て、病を見ず"(整体協会、野口晴哉氏)
人の評価も教育もアラ探しをするのではなく、長所を見つけ、それを伸ばすことである。
現代教育心理学では、正の強化(つまり良いところを見つけ、助長すること)の効果と比べて、負の強化(悪いところを見つけ、罰すること)の効果はあまりはっきりしないと言うのが定評である。
企業は元来、社員の欠点を矯正するところではなく、長所を生かし、使うところである。管理者の役目は社員の長所を見つけることである。
企業が抜擢人事を行うのは評価(褒賞)が目的ではない。仕事をさせるためである。評価しても、それを固定させるのではなく、仕事を与え、成長を見守り、時に、見直しをする。それが能力主義である。(フジテック 内山正太郎)
管理職の評価は、自分の部下の長所を見つけ、それを伸ばすことによって、どれだけ部下を成長させたか、それにより、今期どれだけ具体的に利益(効果)をもたらしたのか、この物差しで、なされるべきである。
"育てられた有能な人材は明日の利益を保証する"人事評価は人を育てる視点がなければならない。
- 寸言
人事評価に努力プロセスを考慮すべき、但し、漫然と勉強して成績を上げるプロセスでなく、成績が上がるような勉強(目的を達成のため、効果的手段を考え、行動する)をしたかを評価すること。
結果だけの評価では、運や偶然性が入る。短絡、短期的手段にとらわれ、長期的、開拓的視野に欠けるようになる。
よく出来る人と共に、よくやった人も評価すべき。
役に立つスタッフとは、"平凡な仕事の中で非凡な業績を上げる人のこと"
熟達と徹底への決め手は反復と持続にある。凡人が非凡なことをなし得る秘訣はここにある。
- 寸言
仏教の言葉に"法位に住する"がある。"法"は存在という意味である。"位"は位、身分ではなく役割といういう意味、部長、課長という上下関係でない。"他を持って代え難い"という概念である。
仕事の中で従事する人には、上下関係はない。それぞれがお互いに代え難い役割を、権限と責任を持って遂行しているに過ぎない。威張りくさっている上司には誰もついてこない。
人間関係がうまくいくかどうかはお互いが人間を尊重し尊敬するという根本的態度と無限の可能性を求めて励まし合うという仲間意識があるか、ないかである。
- 寸言
高齢化社会とか、高齢者対策というものは皆でどう高齢者を養っていくか、あるいはリストラするかではなく、高齢者の生産性を高めることを考えていくことである。
今時の企業は中高年者対策に大わらわであるが、その基本的なトーンが"職場からはじき出すことである。中高年者は体力、気力、専門能力、人生観に格差があり、これを一律に遇するわけにはいかない。改めて職業適性を正しく分析して、個別の処遇を考えるべき。
- 寸言
不況で、労働市場が流動化し、買い手市場の時は、"リストラ"は企業のコスト削減に有効であるが、景気が良くなり労働の売り手市場が到来すれば、優秀な人材は常に引き抜きの対象になる。引き留めておくため、高いコストを支払わねばならない。
終身雇用の約束を破った企業は、今や、雇用保障をエサに優秀な人材を安いコストで囲い込んでおくことが出来ない。
にべもないリストラの結果、職場のモラールや企業の帰属意識は確実に低下し、コストは増大、企業基盤の不安定さが増大する。
("雇用の未来"、ピーター、キャベリー、日経新聞)
最近、リストラを募ると、会社が予定する以上に応募者数が増加、優秀な人材も企業を見限って大量に、流失する傾向が多い。結果、企業戦力が低下し、競争力が落ちる。
慌てて、高いコストをかけ、人材の再募集をする。しかし一端、社員を不安に陥れた企業に、おいそれと、本当に優秀な人材など集まってこない。
そんなばかげた悪循環をしないためにも、再度、人事管理、人事教育、育成、能力開発の基本を見直して見る必要があるのではないか。
- 寸言
自動車の塗装は今や、ほとんどロボットが代替している。しかし、自動車の機能は似たり寄ったりの時代、"精度"が需要の決め手になる。
日本経済新聞、2001年9月23日"フォーと クリック、研ぎ澄ます"に次のような記事がある。
{トヨタ自動車田原工場、は米国向けの高級乗用車"レクサス"などを年に44万台生産する。塗装ラインの建家には、技能の高い塗装工たちの顔写真が壁に飾ってある。その中にひときわ大きな額縁入りの写真がある。社内で"塗装の神様"と呼ばれる佐藤国隆チーフエキスパート(57)
中略
高級車の塗装の厚みは0.15_bほど。それを4^5回に分けて薄く塗り重ねる。基本動作は長くやれば身に付く。しかし、気温や湿度によって塗料の用材の量や吹きつけ方を変えるなどの工夫は簡単には身につかない"様々な塗装作業に携わってきたことが生きている"と佐藤さんは云う。
今では車体の塗装はほとんどがロボットの仕事。そのロボットにどんな動作にするのか、
データを入力するのは塗装工の役割だ。
"佐藤さんが指示すると仕上がりが他人と違う"
経験で培った様々な情報を具体的に表現できなければ工程の自動化も不可能だ。
トヨタは佐藤さんのような従業員をS技能者と認定し、後進の指導も任す。優れた能力を持つ人材を育てる努力は、日本の製造業が生き残る上で欠かせない。自動化で減った技能工だが、需要は確実に高まっている。}
経営の失敗責任を、ただ人員リストラに転嫁するのみの経営者が見習うべき人材育成と処遇の仕方である。
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